linux使用三カ月所感


 アップデートの度にブルスク祭りを吐き出すwindowsに嫌気が差し、linuxに乗り換えてみてからおよそ三カ月が経過した。

もともとlinuxなんてのは存在さえしらず、youtubeでたまたま見かけたzorin osを紹介している動画がきっかけでlinuxを知り、linuxのことをいろいろ調べていた。

そうしているうちに興味が沸いて自分も使ってみよう...とはならなかった。

世間のイメージ通り「なんか難しそう」というイメージが先行しており、
また、「windowsが動いているのにlinux使う意義が見当たらない」というのがあった。

しかし、先述のとおりwinのブルスク祭りにいいかげん嫌気がさしており、これがきっかけとなりlinuxを使ってみることにした。

結果として、linuxがデファクトスタンダードでないが故に受ける不利益はあれど「linux」という「モノ」に対しての不満はまったく起こらなかった。

試したディストロはzorin→純ubuntu→fedora(現在)と、サンプルが少ないとはいえ、どのlinuxについても全く不満なく使用できた。(ディストロを変えるに至ったのは単純にPCとの相性)

そしてlinuxにして気づいた最も大きな点は、windowsというデファスタによって視野がいかに狭められていたのかということだ。

先ほどの章でも述べたが、「winが動いているのにlinuxを使う理由がない」とデファスタwindowsに刷り込まれ、インターネットでlinuxについて調べれば「互換性!互換性!winを使え!」と刷り込み教育の効果がハッキリとみてとれる。

linuxを使ったことによって、何度winに抱いていた水面下の不満を自覚するに至ったことか。こんなモノがデファスタ支配による暴力によって、さも1番優れたものかのように振る舞うザマを許されているというのはなんとも残忍で、残念でならない。